民主主義の歴史

□民主主義の歴史
 1.古代ギリシアの直接民主主義
  古代ギリシア;
  
ポリス(都市国家)における政治体制-----デモクラシー
       市民(市民権をもつ成年男子) 民主政治の担い手[1]
       民主制 「衆愚政」に転化の危険
        「無秩序と混乱を伴った無知蒙昧な民衆の支配」-----マイナス評価

  2.市民革命期の民主主義
  ポリスの崩壊 中世-----デモクラシーは実現せず
  デモクラシー概念の復活 市民革命期
  市民革命を支えた勢力
   
資本家;国王の専制に反対、国民の自由を主張(自由主義の立場)
    労働者;平等な社会の実現を主張 デモクラシー(民主主義)

  3.近代の民主主義
  
    →自由主義と民主主義の対立
    市民社会の担い手 資本家(=市民)-----平等を求める労働者の思想としての民主主義を危険視)
                     
       
自由主義と民主主義の融合
[2](トクヴィル)
[1])実際にポリスでは、民衆が直接政治に携わる政治形態(直接デモクラシー)が採用されていた。
[2])トクヴィル以降、彼の唱えたリベラル・デモクラシー(自由民主主義)の思想は、徐々にヨーロッパ社会に根づいていった。

【過去問】
デモクラシーに関する次の記述のうち、妥当なのはどれか。【国?;1995】


 1.自由放任主義の下では、市民が自由に利益を追求することが市民利益の予定調和による公益につながると考えられた。そこで、古典的デモクラシーの下では、市民の利益を最大化するために、国家の機能と財政を拡大することが望ましいと考えられた。
 2.統治権力の侵害に対し個人の自由を最大限に確保しようとするデモクラシーと、様々な条件の平等化を指向するリベラリズムは、19世紀前半には対立する関係におかれていたが、両者を結合し、平等な自由の実現が可能であると考えたことによって、近代デモクラシーの概念が成立した。
 3.近代デモクラシーを支えていた市民社会においては、個人間の意見の交換の機会は限られていたため、世論の操作は比較的容易であったが、現代の大衆社会のデモクラシーでは、マス・メディアを通じた広範な意見の交換が可能であるため、世論に治者の意見を押し付けることは困難になっている。
 4.近代デモクラシーは、立法部の行政部に対する優位を保障する議会制デモクラシーとして成立したが、19世紀末以来、大衆の政治参加に伴う多様な要求の噴出や社会の複雑化による利害対立を効果的に処理するために、統治機構内部における行政の比重が高まり、立法国家から行政国家への転換がみられた。
 5.大衆社会のデモクラシーでは、国民に対しサービスをできるだけ平等,公正,効率的に提供するために、ナショナル・ミニマムの達成が強く要求されることから、権力がより国民に近い地方政府に移行し、中央政府の統制も弱くなり、地方分権が行われることになる。

【解答】
 正答 4

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